三指の受難
概要
概説
三指教団教祖が時の大法官により与えられた一連の出来事を指す歴史用語。
旧宗教側に捕縛された三指教団教祖が親指・人差指・中指を切断された末に荒野へと追放された事件のこと。この事件がティルモサ包囲及び三指戦争勃発の引き金となり、三指教団の成立へとつながった。
背景
三指教団成立以前の世界的宗教は現在の【旧宗教】が担っていたが、崇める主神の違いにより無数の分派が生まれ、事実上の分裂状態にあった。この時期を旧宗教の大分裂時代と呼ぶ。
そのような宗教的混乱期に誕生したのが、のちに三指教団となる無名の信仰団体であった。
「神の善性を信仰せよ」と説いた教祖の元に集まった人々は小グループを作り始めたが、当時支配的宗教であった【旧宗教】はこれを「取るに足らぬ民間信仰」として無視していた。
ところが組織が巨大化してくるにつれ、「異教徒の教えから神の善性を護らねばならぬ」とする護神主義勢力の台頭により一部が過激武装化。独自の軍事訓練や、衛兵及び【旧宗教】勢力などとの小競り合いを行うことになる。
これにより旧宗教内の三指教団への批判の声が高まり、大法官により三指教祖への処罰が決定した。
なお、この護神主義勢力の台頭は、実際には教祖の意図するところではなかったとされている。教祖は大法官からの召喚に際し、引き止める信者の声を抑え、単身でティルモサに出向いた。これには、弁明と説得の意思があったと考えられる。
指切追放
当時、異端者に対する罰は親指、人差し指、中指を切断の上で東の荒れ地に追放というのが一般的であった。ただでさえ過酷な環境である荒れ地においてこのように指を切断された者の生存は難しく、実質的な死罪である。
ティルモサを訪れた教祖は【旧宗教】側に捕らえられ指切追放の処分が下された。この性急な処罰には、トップを排せば教団も自然瓦解すると考えた【旧宗教】側の思惑があった。
なお、この指切断の刑は名目上
「蒙昧な邪教を信仰した罪」として親指を、
「許可なく集会を開き人々を組織した罪」として人差指を、
「武器を取り神に弓引いた罪」として中指を切り落とすとされていた。
この罪状が【祈りの親指】【集いの人差指】【戦いの中指】の名の由来となっている。
この事件により三指側の信者は激怒。武器を取りティルモサを包囲する事態へと発展した。(ティルモサ包囲)