三指教団の歴史

  歴史・伝説

三指教団の歴史

概要

カテゴリー組織の歴史
関連組織三指教団
【旧宗教】
主な出来事三指の受難
三指教団の成立
三指戦争
ティルモサ包囲戦
ティルモサ護神弁論
シーア=ティーレ発布
三指三聖の誓言

概説

【旧宗教】大分裂期に小グループとして形成された無名の宗教団体は、【旧宗教】による弾圧によって結束を強め、三指の受難という決定的な出来事により蜂起に至った。
群衆は当時旧宗教の法の都であったティルモサを包囲。ティルモサ包囲戦を展開する。この戦いはこの後長く続く三指戦争の緒戦となった。

ティルモサ包囲戦に勝利した勢力はシーア=ティーレによって組織化。ティルモサ護神弁論で旧宗教側の大法官が下野し、ティルモサにおける【旧宗教】の権威は失墜した。

三指三聖の誓言により三指教団が成立。
ティルモサはシーア=ティルモサに改名され、三指教団の聖都とされた。

教団成立以前の歴史

教団の芽生えと三指の受難

かつてこの世界の宗教は【旧宗教】が覇権を握っていた。彼らは神をそのまま神として捉えるというエルフ的な感覚を継承しており、それは人々の持つ普遍的な直感とも合致していたため大いに広まった。
しかし、その教義の性質上、崇める主神の違いなどにより無数の分派が成立。時に分派争いに発展するなど混乱の時代に突入する。

そのような中で現れたのが三指教祖である。彼(彼女?)は信仰によって世が乱れていることを憂い、「乱れの原因は神の悪性の顕現である」という独自の理論を構築。神の善性に目を向け正しき信仰へ回帰せよと説いて信者を増やし、小グループを形成した。後の三指教団の前身となる団体である。
この中には後の三指三聖(さんしさんせい)となる3人の姿もあった。

グループは日に日に大きくなったが、やがて【旧宗教】側の大法官に目をつけられる。
三指側の護神主義者の一部過激派が独自に武装を開始したことが決定打となり、三指教祖への処罰が決まる。
邪教を組織し先導したとして教祖は3本の指を切られ荒野へ追放された。この出来事を三指の受難と呼ぶ。

ティルモサ包囲戦と教団の成立

信者の蜂起とティルモサ包囲

教祖の追放に激怒した信者は【旧宗教】に対し蜂起。
「切るべき指はここにもあるぞ、我らの指を落としてみせよ」の号令の元、当時はまだ【旧宗教】の都市であり、時の大法官がいたティルモサ(「法の都」の意)を包囲した。
こうして旧宗教と新宗教の戦いの火蓋が切って落とされる。(ティルモサ包囲戦)

この包囲の際に群衆が掲げた、親指・人差指・中指を立てたハンドサインが教団のシンボルとなり、旗印にも取り入れられた。

三指の旗印

太陽門の奇跡

ティルモサは堅牢な都市であったため侵攻は困難であった。特にティルモサの正門であり、太陽神の名を関した「ニドラノ門」(太陽門とも)の攻防は熾烈を極めた。(ニドラノ門の戦い)
膠着状態が長く続いた後、三指側の戦力を率いていた男が太陽神に祈ると突如門が開いたとされる。

以下は三指に伝わる資料の一節である。

「白く輝く太陽門は壮麗にして堅牢なり。矛の刃をこぼし矢を弾き、門の前には血の河が成る。七日七晩の争いの果て、一人の男が戦場にて太陽神の御名に祈る。やがて天より神の光が注ぎ、たちどころにして門開かる。斯くして法の都は陥ちぬ」

この出来事を太陽門の奇跡と呼ぶ。この“奇跡”について、実際に神の力であったとする説の他に、何らかの魔術であった、ティルモサ内の三指派による工作であったなどの学説があるが真相は定かではない。

門が開かれると、奇跡を起こした男を先頭に武装した信徒がなだれ込み、ティルモサ包囲戦は決した。

奇跡で応えたとされる太陽神ニドラノは、この逸話から現在でも戦いの中指全体の守護神格とされている。かの神は朝日の黄、昼空の青、夕日の赤の三色が伝統的なシンボルカラーとされており、中指の制服もこのカラーリングが取り入れられている。

ティルモサ護神弁論

ティルモサが陥落すると都市は速やかに制圧された。大法官は捕虜となり、三指教団の神学者と公開討論を行った。これがティルモサ護神弁論である。

この際に大法官を相手取った神学者は信仰心の篤さと弁舌の巧みさで信者の中でも中心的な人物であった。弁論は数日に渡って戦われたが、最後には大法官が敗北し、下野した。
公開討論での敗北はティルモサ市内における【旧宗教】の権威を大きく損ねると同時に、三指教団の教義の理論的発展を促した。

(なお、三指が論争に勝利したというのは三指側の歴史観であり、【旧宗教】側は“説得を諦めた”としている)

シーア=ティーレの誕生

ティルモサ護神弁論と並行し、ティルモサ市街では新秩序の構築が急がれた。

ある法官は不眠不休で法整備を行い、ティルモサ陥落から僅か4日後には新法が発布された。これはティルモサに生きる三指教徒の規範を明文化したものであり、はじめはティルモサ内の都市法であったが、後の三指世界の共通法の草案となった。
この法を「シーア=ティーレ(正しき法)」と呼ぶ。(シーアは「正しい」、ティーレは「法」の意)

信徒間の共通規範は三指教団の組織化における下地として重要な役割を担った。

三指三聖の誓言および教団の成立

兵を率い門を開いた武人
護神弁論で勝利した神学者
法整備を行った法官

この3名はその功績から自然と教団内の中心人物となり、いつしか「三指三聖」と呼ばれるようになった。三指三聖はそれぞれ“戦いの中指”、“祈りの親指”、“集いの人差指”の創始者である。
ティルモサ陥落から2週間後、三聖は会談を行い、信徒らに対し共同声明を発した。これが「三指三聖の誓言」である。

我らは祈る。親指にかけて。
我らは集う。人差指にかけて。
我らは戦う。中指にかけて。

この誓言は三指の教義の基礎とされ、必ず教典の冒頭に記載されている。

また同時に、三聖はこの集いに「三本指の同胞たち」という名称を与えた。三指教団が正式に成立した瞬間であった。

教団設立に際し、初めての勝利を収めたこの都市を神聖都市とし、聖地とされることが決定した。
【旧宗教】時代に「ティルモサ(法の都)」と呼ばれたこの都市には、新たに「シーア(正しい)」が冠され、「シーア=ティルモサ(正しき法の都)」と改称された。

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