ラダドルフ=トルナク
概要
カテゴリー | 人名・ドワーフ |
種族 | ドワーフ(トルナクの一族) |
性別 | 男 |
職業・身分 | ロドゥニ=ローワン初代国王 |
出生 | 暁星シウの時代照紀2759年 ロドゥニ=ローワン |
死去 | 暁星シウの時代照紀3072年ベレイオン節三の月15日(313歳没) アッタルマヌン |
在位期間 | 暁星シウの時代照紀2897年~照紀3072年 |
前王 | — |
次王 | タルノフ |
配偶者 | モルヴリンデ |
子女 | タルノフ |
別名・称号 | “道王”ラダドルフ 万州一靴のラダドルフ |
概説
ラダドルフ=トルナク(シウ照紀2759-3072)、通称”道王”ラダドルフは、トルナク朝初代ロドゥニ=ローワン王(在位:シウ照紀2897-3072)である。
複数部族の集まりに過ぎなかったロドゥニ=ローワン山のドワーフをまとめ上げロドゥニ=ローワン王国を建国、トルナク朝を開闢し初代国王となる。
蝸牛騎兵部隊を中心とした軍を構築し周辺各国へ侵攻。征服後に遠征地と自国を結ぶ街道を建設した。
ウルデンドア大陸を横断する「ラダドルフ大街道」の建設という偉業を成し遂げたことでも著名であり、この業績は“万州一靴”ともよばれる。このラダドルフ大街道や、街道とアッタルマヌン川が交差する地点に設けられた「モルヴリンデ大隧道」はドワーフ建築の最高峰ともされる。
これらの功績から、ドワーフ随一の英雄と目されることも多い。
生涯
出生から王国建国まで
その英雄的な生涯に反して、ラダドルフの前半生には不明点が多い。
暁星シウの時代照紀2759年にロドゥニ=ローワンに生まれたラダドルフは、軍事的、政治的手腕を用いてシウ照紀2897年、ロドゥニ=ローワン山のドワーフ集団をトルナク家の元に統一することに成功した。
ロドゥニ=ローワン山はウルデンドア大陸中央に存在する巨大な山であり、ラダドルフ以前から複数のドワーフ氏族の入植が見られる土地であったものの、大陸中央という好立地条件がかえって利権の煩雑化を招き、複数の勢力が台頭する地帯であった。
これらの勢力がトルナク王家のもとに一元化されたことで、王国となったロドゥニ=ローワンは急速な発展をとげる。
軍拡と遠征
国王となったラダドルフが真っ先に着手したのが建軍であった。ここには後のラダドルフの治世に表れる拡張主義的性質が垣間見える。
国軍の構築にあたりラダドルフは蝸牛騎兵という兵種を中心とした。この蝸牛騎兵は進軍速度こそ馬に劣るものの頑強かつ悪路をものともせず、一度出撃の号令が下れば七日七晩歩みを止めないという性質があり、岩がちなロドゥニ=ローワンから様々な土地条件の諸国へ遠征へと打って出るには最適な兵種であった。
ロドゥニ=ローワン山の岩肌には蝸牛騎兵隊のカタツムリを飼育するための無数の横穴が穿たれていることで知られるが、この横穴もラダドルフの命によって整備された。
ラダドルフによる遠征はまず東へと向かった。
これには二つの理由があったとされる。
第一に強国ロブルア王国の存在である。ロドゥニ=ローワンの西に位置するこの国家はユーデンドルマ辺境伯の有する騎兵隊を筆頭に精強な軍で知られる。ラダドルフはこの時点での強国との対決は不利として避けることにした。ロドゥニ=ローワンは山がちの地形であり、カタツムリではない通常の馬騎兵には戦闘に不向きな難攻不落の要塞であったため、背中を手薄にしてもこちらから仕掛けない限りロブルア側からの攻撃はないと踏んだのだった。
第二の理由は東方のドワーフ都市ノス=ドゥケンである。東方のドワーフ族の中心地として古くから栄えていたこの都市と街道を結ぶというのは、「道」を重視するドワーフ社会において非常に重要な意味をもった。新興国家であるロドゥニ=ローワン王国が名乗りをあげるにおいてぜひとも欲しい”箔”であった。
ラダドルフの遠征は長期間、複数回に渡り行われた。戦争のシーズンである夏になると目標地へ部隊を進軍させ、同時に進軍ルートに街道を引く。冬の手前に戦利品を満載した馬車で引き上げ、次の夏になると再び街道を使って進軍、さらに遠くの遠征地に手を伸ばす。これを繰り返し、やがて大目標であるノス=ドゥケンへの街道接続を達成した。
その後、軍を転進させ西へ進出。かねてより睨み合いを続けていたロブルア王国を破り、西海岸の古都イスハルタへ到達。ウルデンドア大陸を東西に打通する大街道、「ラダドルフ大街道」を完成させる。この出来事は「万州一靴」と呼ばれ、ラダドルフ最大の業績にしてその代名詞となった。
アッタルマヌン戦争と大王の崩御
詳細は「アッタルマヌンの歴史」も参照
万州一靴を成し遂げたラダドルフが次に目を向けたのが大規模な商業圏を抱えるアッタルマヌンであった。
これまで直接的な衝突はなかったものの、ロドゥニ=ローワンとアッタルマヌンは隣接する大規模商業圏として敵対関係にあった。
ラダドルフの遠征の際には、アッタルマヌンが対立する諸侯に対して公然の秘密として資金融資を取り付けており、両者の緊張状態は万州一靴達成時点で頂点に達した。
シウ照紀3068年、ラダドルフはアッタルマヌン全域に対して宣戦布告。アッタルマヌン遠征(アッタルマヌン側からは第一次ドワーフ侵攻と呼ばれる)が開始される。
泥濘による守りに頼ったアッタルマヌン連合軍は蝸牛騎兵部隊により成す術なく敗走を重ね、3072年には中心都市であるニクラシャッドの陥落を許した。
破竹の勢いに思われたラダドルフであったが、同年ベレイオン節三の月15日、突然倒れ崩御。313歳であった。
ラダドルフの死因は病死説、暗殺説、戦闘中の外傷による感染症説、などがある。
ロドゥニ=ローワン国王の座は息子であるタルノフに引き継がれ、その遺体はロドゥニ=ローワン山地下の最奥に位置する「大王の霊廟」に葬られたとされる。
影響
ラダドルフ大街道
ウルデンドア大陸を東西に横断するラダドルフ大街道は、今日でもウルデンドア最大にして最重要路とされる。
多くの交易品や人がこの道を利用して東西を行き来しており、その経済的、文化的影響は計り知れない。
また、モルヴリンデ大隧道はそれまで船による渡河しか手段のなかったアッタルマヌン川の横断を陸路で行えるようになり、川によって隔てられていた東西の交流が促された。
ドワーフ族の種族的アイデンティティ
歴史的大偉業を成し遂げたラダドルフは、ロドゥニ=ローワンのみならず全ドワーフにとっての種族的英雄となった。
また、その振る舞いや性格はドワーフの典型として他種族からも引き合いに出されることが多い。
ドーン世界のドワーフは種族的特徴として道を引くこと、伸ばすことに執心するが、その最たる例としてラダドルフの事業は記憶された。「道」がドワーフにとっての譲れない誇りにまでなった背景もラダドルフの影響が大きい。
伝説・逸話
戦車で来て馬車で帰る
ラダドルフの遠征の様子を伝える言葉。
ここでいう“戦車”とはロドゥニ=ローワン軍の蝸牛騎兵を指す。
ラダドルフは街道を敷きながら戦車で侵攻し、馬車に溢れるほどの戦利品を積んで山へ帰ったとされる。
片道ぶんの財宝
戦争に敗北したある王が、貢物の金銀財宝と共に大街道を通ってロドゥニ=ローワンを訪れた。
かの王がラダドルフに贈り物を差し出すと、ラダドルフはそれを自身の宝物庫に運び込ませたあと、こともなげにこう言ったという。
「貴殿の“行きの通行料”、確かに頂戴した。ところで“帰りの通行料”が見当たらないのだが、なにを差し出してくれるのかね?」